実家の押し入れをあけましたら、古い写真がいっぱいあったのですよ。
太平洋戦争のときに、フィリピンのルソン島で戦死したという祖父や、戦時中に新築住宅をあちこちに建てたという、大お祖母様の、モノクロの写真でありました。
祖父祖母の結婚式の写真や、国民服や軍服姿の人々の姿もありました。
おじいちゃん、こんな顔だったのかあ。今の私よりずっと若くて、優しそうな青年の顔でした。
こんな歳で死んでしまったのですね。
押し入れの写真は、祖母が亡くなったときに、母が整理してまとめて置いておいたらしいんですけど、こんな写真が残っていたとは驚きでした。
なんで今まで教えてくれなかったの? と聞けば、見せてと言われなかったから、というんですが、あると知らんものを、見せてくれとはいいませんわな。
以前、戦死の通知書を見せてもらったことはあったので、写真があるとおもわなかったのは、迂闊でありました。
記録写真も時代が経てばアートになる
女学校の卒業アルバムなどもありまして、女学生時代の祖母も写っておりました。
ええーっ、おばちゃん、こんなに美人だったの? ということはなくて、いかにも大正時代の日本の田舎娘、というかんじでした。
しかし、地味でゴツゴツした顔立ちの女学生たちの顔が並んでいるアルバムは、それはそれでなんだか芸術的な感じがします。
他の写真も、スナップ写真という感じのは少なくて、たいていが集合写真だったり、スタジオらしき場所での撮影なんですが、色あせたモノクロ写真って、それだけでアートですね。
もっと当時の家の様子や近所の風景とか見たかったですが、そういうのはあんまり撮ってなかったみたいです。
写真とは記念行事を写す、あらたまったものであって、趣味で気軽にそこらへんをパカパカ撮るようなことはなかったのでしょう。
うちの父親の写真もありましたが、赤ちゃんの次がいきなり3歳、小学生、中学入学式、みたいなかんじで、ちょいと飛びすぎです。
毎月何千枚も撮れる現代のデジタルな写真生活とは、えらい違いです。
写真って、ちょっとしか残ってなくても、昔の思い出を未来に伝える素晴らしいものですね。
私は、子や孫のためにも、もっとバリバリ撮り続ける所存であります。